2017/12/31
ようやく指が動かせるように
意識を失ってから4日目、徐々に回復していく中で、朝起きたら手足の指が動かせるようになってました。そして、懸命に踏ん張っていたら何とか腕も動かせるようになり、ようやく身体の自由がほんのちょっとですがきくようになってきました。
日本の病院と違いナースコールが無いため、看護師さんに来てもらおうと思うと何かの形で呼び止めないといけないのですが、相変わらず管が入ったままなので声は出せないもののこれでベッドを叩くなどして呼びかけることができるようになりました。
そのため、看護師さんに例えば痰が詰まっているので取って欲しいなどと手でベッドを叩いたりして意思を伝えようとするのですが、ベッドにやってきても言葉が話せないので、彼らには伝えたいことの半分も伝わらず、
また彼らが話すベトナム語もまだまだ僕のベトナム語力の不足から理解できないことも多く、彼らからすれば何だか意味もなく呼び止めようとするみたいな感覚を覚えたようで、しまいには一部の看護師は僕がベッドを叩いても無視して通り過ぎていく始末。
こっちは様々な理由で助けて欲しいということで呼びかけているだけに、この無視されるという行為が非常に辛く、また次の看護師が近くを通るまでの数分~5分程度の時間が僕には何十分もの時間に感じるくらいに長く苦痛なものでした。
また、回復していくに連れて、このコミュニケーションができないこと含め様々なことで病院の入院生活そのものがかなり苦痛になっていくのですが、それはまた次回。
ここまでの経緯は下記です。
この後の経緯は下記です。
日本の病院と違いナースコールが無いため、看護師さんに来てもらおうと思うと何かの形で呼び止めないといけないのですが、相変わらず管が入ったままなので声は出せないもののこれでベッドを叩くなどして呼びかけることができるようになりました。
そのため、看護師さんに例えば痰が詰まっているので取って欲しいなどと手でベッドを叩いたりして意思を伝えようとするのですが、ベッドにやってきても言葉が話せないので、彼らには伝えたいことの半分も伝わらず、
また彼らが話すベトナム語もまだまだ僕のベトナム語力の不足から理解できないことも多く、彼らからすれば何だか意味もなく呼び止めようとするみたいな感覚を覚えたようで、しまいには一部の看護師は僕がベッドを叩いても無視して通り過ぎていく始末。
こっちは様々な理由で助けて欲しいということで呼びかけているだけに、この無視されるという行為が非常に辛く、また次の看護師が近くを通るまでの数分~5分程度の時間が僕には何十分もの時間に感じるくらいに長く苦痛なものでした。
また、回復していくに連れて、このコミュニケーションができないこと含め様々なことで病院の入院生活そのものがかなり苦痛になっていくのですが、それはまた次回。
ここまでの経緯は下記です。
2017/12/24
2017/12/25
2017/12/27
2017/12/28
2017/12/29
2017/12/30
この後の経緯は下記です。
2018/01/02
2018/01/03
2018/01/04
2018/01/05
Posted by いのっち at 08:45│Comments(0)
│ベトナム肺炎入院生活