2020/08/24
1942年のサイゴンでの日本語授業の相場
ネット上で色々と昔のベトナムの様子を見ていたら、1942年の日本語家庭教師の募集広告を発見。

日本語と英語と教えられる人が生徒を募集していたようで、1ヶ月で1.5USD、3ヶ月で4USD、6ヶ月で7USDとなってました。
当時の金銭相場が分からないので高いのか安いのかは分かりませんが、少なくとも日本軍がサイゴンに駐留していた中で、日本語を学ぼうという人がいて、それを教える人がいたというのは事実のようです。
1940年に南部仏印進駐でサイゴンに日本軍が入ってきた後、今のマジェスティックホテルが日本軍の指令所になっていたりしていたので、駐留する日本軍相手の商売や日本軍に雇用してもらうのであれば少しでも日本語はなせた方が良いだろうというニーズがあったのだろうなということは今のベトナムの外国語事情を見てても容易に想像できる話ではあります。
どんなバックボーンの人が教えていたのか等々興味は尽きないですよね。

日本語と英語と教えられる人が生徒を募集していたようで、1ヶ月で1.5USD、3ヶ月で4USD、6ヶ月で7USDとなってました。
当時の金銭相場が分からないので高いのか安いのかは分かりませんが、少なくとも日本軍がサイゴンに駐留していた中で、日本語を学ぼうという人がいて、それを教える人がいたというのは事実のようです。
1940年に南部仏印進駐でサイゴンに日本軍が入ってきた後、今のマジェスティックホテルが日本軍の指令所になっていたりしていたので、駐留する日本軍相手の商売や日本軍に雇用してもらうのであれば少しでも日本語はなせた方が良いだろうというニーズがあったのだろうなということは今のベトナムの外国語事情を見てても容易に想像できる話ではあります。
どんなバックボーンの人が教えていたのか等々興味は尽きないですよね。
2014/08/11
カンボジア戦記
カンボジアの内戦時代の経緯が描かれた本を読んでみました。
クメールルージュ時代の様々な出来事、ポル・ポト自身の生い立ちや、シアヌーク国王の活動とそれらに対するベトナムとの絡みなど知らないことばかりでした。
カンボジア内戦はベトナムも自国の国防に関わるため自ら侵攻してどちらかと言えば一方的に悪く書かれている本もありますが、実はその前にポル・ポト軍がタイニン省に攻撃を仕掛けてきていたことが伏線になっていたということや、
兵士を駐留させヘンサムリン政権を上手くコントロールしながらも、ソ連の援助が削られ自国内の経済の困窮によって、兵士を駐留させておくのが苦しくなり、撤退せざる得ない状況になっても、粘り強く上手く交渉している経過が記されていたり、
経済困窮の一因が国営企業への過剰な支援だけでなく、公務員に対する物資の購入の価格優遇もあったなどと、今のベトナムに住んでいてもなかなか分からない事情が書かれていて、非常に面白かったです。
また、この時代のアセアンにおける日本の微妙な立ち位置も随所に記されている中で、PKOはじめカンボジア復興に向けた活動に対し、シンガポールのリークワンユーさんが過敏に反応している発言など、20年前と今では日本の評価も大きく違うんだなと改めて実感です。
シンガポールは特に第2次大戦時に日本軍が華僑の人をかなり殺害したりもしているようなので、それを目の前で見ている現役世代がまだまだ世の中の中心にいた時代、日本が幾ら見事に復興し、平和な国になっていても心から信頼されるところまでは至ってなかったのでしょうね。
直接面識はないですが、高校の先輩に中田厚仁さんがいらっしゃり、国連ボランティアとして活動中に殺害されたので、カンボジアのPKOについては個人的に関心があったのですが、そのPKO活動に至る前に、10年近くにわたる長い交渉があったことなど全然知らず相変わらず不勉強だなと反省です。
カンボジアから見たベトナム、東南アジアから見た日本、
一歩立場を変えて物事を見てみるということも非常に大事だなぁと改めて実感する本でした。
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Tag:中田厚仁 カンボジア
2014/08/09
ベトナムの難民少女の10年
と呼ばれベトナムから逃れてきた人たち
のことは40代以上の日本人なら誰しも
知っているかと思いますが、じゃ彼らが
難民となって日本に着いた後、どんな
生活をしてたのか、あるいは難民になる
前に具体的にどんな生活をしていたのか
ということについてはベトナムに住んでいても
なかなか誰も話してはくれないので、なかなか分からない中で、
ベトナムの難民少女の10年という本を見つけたので、これなら
分かるのではと思い、買って読んでみました。
難民として日本に逃れてきた女性の体験談が描かれているのですが、
壮絶の一言です。
日本人で戦後生まれの人でこれだけの苦労をしてきた人というのは
まずいないでしょうし、日本で同様の経験と言えば、終戦時に
海外にいて、その後帰国船に、着の身着のままで乗り込んで日本
戻ってこられた方くらいではないかと思います。
彼女自身が私は非常に幸運な方だったということを文中で書いて
いるのですが、国を逃れるということがこんなに辛いものなのか
と思うと平和な時代に生きているというのは何ものにも代えがたい
有難いことなんだと思いますね。
また、1975年以降1986年までのベトナムの様子というのはほとんど
書物として残っていない中で、この本の中には学校教育の様子や
人々の生活の様子がかなり細かく描かれているので貴重です。
特に北部の人が来て、立ち退きを突然迫られ追い出されて知合い
の家を転々としたという話とか再思想教育の関係で田舎に急きょ
移り住まされた人の話とか南部の人はこの時期本当に苦労してた
んだなぁと思います。
ベトナムに住んでる以上、もっともっとベトナムのことを勉強しない
といけない中で大変勉強になる本でした。
2014/08/02
東南アジアから見た日本
て、どう感じているか?という質問を
したら、大半の人が好意的に見ている
あるいはあこがれの国であるという
ような回答になるかと思うのですが、
1974年の田中角栄首相のアジア訪問の
際にタイやインドネシアでデモや暴動が起こったように、数十年
前までは決して親日では無かったというのが実際のところだと思う
のですが、この数十年の間にいったい何が起きたのか?や彼らの
評価が変わった要因は何なんだろう?ということが知りたくて、
色々と調べている中で、東南アジアから見た日本という本を発見
し、購入してみました。ちょうど1976年に書かれた本なので、
まさにどんぴしゃりの時期なのですが、残念ながらなぜ当時
反日だったのか?ということを体系立ててはまとめられては
いませんでしたが、日本流のやり方を押し付けることや、
エコノミックアニマルの状態になっていることに現地の人が
反発していたということのようです。
ただ、歴史的な事象がかなり豊富に載っていたので学び
は多かったです。
僕らの先輩たちがこの数十年、このアジアで一体何をしてきた
のか、もうちょっと勉強することで、アジアの中で日本人として
どう暮らしていくべきなのか、あるいは日常のビジネスに取り
組んでいくべきなのかを理解する糸口を掴めたらなぁと思って
おります。
2014/05/12
生き場を探す日本人
お借りした「生き場を探す日本人」という
本を読みました。
タイトルから想像が付くかと思いますが、
日本を離れ、海外に拠点を移した様々な人が
紹介されています。
作者の拠点の関係もあり、タイ在住者が多いのですが、ホント様々な
人が移り住んでいるのだなとつくづく思います。
ホーチミンも僕が知らないだけで、ホントいろんな方がいろんな理由で
渡ってきているのでしょうね。
そんな中で、日々行われる経済活動や飲み会などを通じて行われる人と
人のつながりというのはある意味、偶然の生んだ不思議なご縁ですね。
2014/04/16
キクタン ベトナム語入門編
キクタンベトナム語 入門編 という本です。
僕のように長い会話なんて必要なく、指示語やシチュエーションごとにちょっとしたワンフレーズが使いたいという初級クラスな人にはぴったりの本です。
早速パラパラとめくってみたのですが、7割くらいは知らない単語でいかにこの4年間ベトナム語を覚えてなかったかというのがよく分かります。
シチュエーションごとに分けられているので、一つ一つ勉強していこうと思います。ベトナム語学習が必要な方は是非買ってみてくださいね。
![]() | 価格:2,160円 |
