2017/04/30
アジアから学ぶ時代へ

「日本人はアジアをモノやサービスを売る場か買う場としか捉えていない人が多過ぎる、アメリカに学びに行く人間はたくさんいるが、アジアも同じくらい学べることがたくさんある。日本人はそろそろ学びに行くという思考でアジアに行くべきだ」
ということをおっしゃっておられました。
確かに中国やシンガポールなどでは既に日本より遥かに進んでいる分野というのはたくさんあります。
例えば中国の電子決済の発展度合いなど日本より遥かに進んでますし、あるベンチャーキャピタルの方から、
「中国でブームになりつつあるビジネスでも日本はどこの企業もまだ手も付けていないってビジネスは結構あるので、それを日本流にカスタマイズすればブレイクする可能性のあるビジネスも結構ある」
とのこと。
ベトナムなんかでも、ベトナムで一番人気のSNSを使って役所の申請手続きの一部ができる省があったり、FBを活用したECビジネスのやり方なんて、日本でもかなり活かせそうなことって結構あります。
もちろん、アジアと日本では国の発展度合いやコンプライアンスなどの違いがあるのは事実ですが、ルールや発展度合い、国民性の違いなどはアメリカと日本との間でも同じこと。
上記以外でも彼らのハングリー精神、ネットワークの活かし方、経営の進め方や、社員の育成の仕方等々、日本人が学ぶべき内容というのはじっくりと見てみるといろいろとあるはずです。
ベトナム在住者として、ベトナムでこれは面白い、日本で活かせるかもってものあり次第、僕も日本に向けて色々と発信してみようと思います。
Posted by いのっち at
21:45
│Comments(0)
2017/04/30
おっさん10人で5区の中華へ
僕も含めた寂しいおっさんで5区の美味い中華を食べに行こうということになり、
周りの方をお誘いしたら結構同様の方がいらっしゃり、
合計10名で華僑の間で人気No1のAI HUEまで行ってきました。
せっかくなので、フルコースメニューにして、前菜のスープから始まり、北京ダックや石斑魚清蒸など全9品堪能してきました。
これでビール何本かずつ飲んで1人36万ドンだったので、やっぱり5区の中華街は安いですね。
2017/04/28
閲覧注意 1975年4月30日の写真の検索

毎年のことですが、この時期になると当時はどんな感じだったのだろう?とあれこれ調べてみるのですが、
今年はGoogleで「30 April 1975」と入力して画像検索をしてみました。
すると、ほんといろんな写真がアップされています。
日本人はベトナム戦争終結間近のこの時期になると、近藤紘一さんなど新聞社の記者と一部の商社の社員くらいしか残っていなかったようなので、あまり記録が残ってないですが、アメリカなどは軍としては撤退していたもののまだまだ様々な人が滞在していたようなので、かなりの記録写真が残っているようです。
4月30日の象徴的な光景の写真としてはこの2枚でしょうね。
1枚は今の統一会堂に突入する戦車の光景。実際は既に降伏声明を出した後だったので、特に抵抗も無く入れたのですが、セレモニーのようにわざと柵を壊して突入したようですが。

そしてもう1枚がこのヘリコプターで逃げようとする人たちの光景。海上にいるアメリカ軍の空母からの救助ヘリに乗りたい人たちが殺到している光景です。

全員乗れるはずも無いのにこんな感じで長蛇の列を作っている光景、この乗れなかった人たちはその後どうなったのか?なんてことをいつも思うのですが、
そんな中、もっと衝撃的な写真を発見。何とかして脱出ヘリにしがみつこうとしているベトナム人にアメリカ人と思われる人物が強烈なパンチを浴びせている瞬間の写真です。

どんな理由でこうなったのか分かりませんが、ただ一つ言えることは戦争が原因だということですね。戦争というのは人を狂気に駆り立てると言いますが、ほんとその通りだなと思います。
続いてはアメリカ大使館に逃げ込もうとするベトナム人達の写真。何とかアメリカへのビザをってことで殺到したようですが、もはや狂乱状態だったみたいです。
それ以外にも様々な写真が出てきます。爆弾でふっと飛ばされたと思われるおぞましい光景も出てきますが、ご興味ある方は「30 April 1975」で検索してみてください。
Posted by いのっち at
12:50
│Comments(0)
2017/04/28
ATMでキャッシュカードが吸い込まれて帰ってこず
トラブルが発生するという話は聞いていたのですが、まさにその現場を目撃しました。
会社の近所のATMコーナーでお金を引き出していたら、隣のATMで作業していたベトナム人女性が急に騒ぎ出し、
「カードが出てこない」
と言っています。どうやら、作業中に機械に何かトラブルがあって、そのまま止まってしまったみたいです。
電話でATMの管理会社か何かに連絡してました(写真はちょうど連絡しようとしている最中)が、スタッフがやってきて、取り出してもらってという一連の作業で1時間くらいはかかるのでしょうね。
僕ら外国人だったら、誰かに助けてもらえないとこのトラブルを説明するのにまたひと手間なので、隣のATMでほんと助かったという出来事でした。
Posted by いのっち at
11:30
│Comments(2)
2017/04/26
海外で20年ぶりの再会
そのままずっと会わないままだったのですが、ふらっとホーチミンにやってきてくれたので、20年以上ぶりに再会しました。
お互いおっさんになってましたが、雰囲気とかは変わらずで、昔話に花が咲き、3次会の暖暮ラーメンまで楽しく過ごしました。
ホーチミンに住んで7年ですが、ホーチミンで高校の同級生に会うのはこれで3人目。20年以上経ってもお互いの状況や居所が分かるFBってありがたいよなぁと改めて思う出来事でした。
Posted by いのっち at
16:01
│Comments(0)
2017/04/25
炭酸飲料での糖分摂取に対する理解差
男性も女性も日本だとなかなか無い光景だよなぁと思いながらいつも見ているのですが、数か月前にふと、
「コーラって缶1本で40gくらい砂糖入ってるんだけど知ってる?」
と聞いてみたところ、
「初めて聞いた」
とのこと。
他にも何人か聞いてみましたが、一部の人はある程度の理解はしていましたが、全く理解してない人も。
スーパーなどでも1箱単位で炭酸飲料を買ってる姿などをちょくちょく見かけますが、全然理解していないのでしょうね。このままだと成人病まっしぐらですよね。
うちのスタッフに聞いてみたところ、彼の実家はどうも身体に良くないものだということで最近炭酸飲料を飲むのを止めたとのこと。
国民全体が若いからまだ実感ないのかもしれないですが、将来の健康食品マーケット拡大に貢献している気が。
Posted by いのっち at
11:43
│Comments(0)
2017/04/24
ベンタン市場前のロータリー封鎖中
おかげでいつもより遠回りしないといけなかったり、道が混んでたりと何かと不便なのですが、
ちょうど先週末にジャカルタ在住の同級生が来ていたので、話を聞くとジャカルタ周辺はもはや道路が完全にパンク状態みたいで、
日本なら30分もあれば行ける場所に混雑時間帯だと3時間とかかかって移動しないといけないことがザラみたいで、毎日通勤に片道2時間くらいかかって通勤している駐在員も少なくないそうです。
道路が完全にパンク状態になってから地下鉄工事始めたら、とんでもない大渋滞になるでしょうから、多少の工事の遅延はあっても、今のうちにこうやってインフラ工事してくれているのはまだありがたいのかもしれないですね。
2017/04/23
路上売春婦の最新価格調査
「オンナ、オンナ」
と言いながら寄ってくる売春婦斡旋の客引きがいます。
昔、いくらくらいなんだろう?と聞いた時は75万ドン(約3,800円)だったのですが、今はいくらなんだろう?
と集まってきた客引き達に価格ヒヤリングをしてみました。
1人目:Mac Thi Buoi通りのおじさん
100万ドン(約5,000円)とのこと。
2人目:Dong Khoi通りのおばさん
100万ドン(約5,000円)で、チップ、ホテル代込みだからうちは安いよ、とのこと。
3人目:Ngo Duc Ke 通りのおじさん
120万ドン(約6,000円)とのこと。
まあ、3人目はふっかけている可能性が高いので、現在はチップ、ホテル代など込みで100万ドン(約5,000円)程度が相場のようですね。
以前聞いた時はチップとかホテル代抜きで75万ドンだったので、むしろ若干値下がり傾向なのかもしれないですね。
Posted by いのっち at
10:57
│Comments(0)
2017/04/21
大手に努力で負けてたら中小は絶対に勝てない
よくもまあ、うちのスタッフもこんな場所の工場見つけたよなぁというような場所だったのですが、行ってびっくり。なんと、大手企業さんの段ボール箱が。
僕 「〇〇社との取引あるのですか。」
工場 「はい、ありますよ。この製品も〇〇社からのオーダーです。」
と作業中の製品を。
僕 「日本企業は他にどこか取引ありますか。」
工場 「××社(これも大手)からもたまにありますね。この2社です。」
と大手が2社も。両方とも大手の日本の買い付けの担当者が直接やって来て取引しているみたいです。
工場側が良い商品を作っておられるのは言うまでもないですが、それよりも大手企業がここまで足を運んでいるのだなということにびっくり。
きっとここを発見するためにその何十倍もの無駄足も踏んでるはずですので。
大手企業は規模で安く作るから勝てないとか、彼らは資金力にモノを言わせてビジネスするから云々と、我々中小企業は話しますが、そもそも弊社も良いサービスを提供するためにここまでの努力してないよなと痛感しました。
大手に勝つためには中小は大手以上に知恵と努力をするしかないのに、努力すら負けてたら勝てるはずないですよね。自分自身の日々の行動をもう一度、見直さないとと猛省する工場見学でした。
Posted by いのっち at
22:35
│Comments(0)
2017/04/21
お仕事紹介してください
特に同業種が多数進出済みの業種で、進出して間もない企業の方がお越しになることが多いです。
僕らはこれから日本から進出してくる企業のお世話をすることが多いので、その企業を紹介して欲しいということだと思うのですが、
進出して社歴が長く、こちらで様々な実績を残しておられる会社と比べ、当然実績も少ないですし、人員も少ないのでなかなか難しいです。
日本での実績や規模をPRしてこられたりするところもあるのですが、僕らがお客様に紹介する際に大事なことは、いかに「ベトナムでお客様のお役に立てるか」ってことで、
例えば、どんな小さな仕事でも引き受けますみたいなことPRしてもらえるとありがたいですし、
仕事以外の部分で、例えば、「カラオケのお姉さんとのつながってる数だけは負けません」とか、「フレンチの美味いところなら任せてください」みたいなのでも良いので、
特徴出してもらえた方がありがたいのですが、なかなかそんなものも出てこないから仕方なしにこっちが根掘り葉掘り聞くみたいな状態。
昔、ベンチャー企業はエッジが尖ってないとダメだ(何か一つすごい特徴がある状態)と言われましたが同じような感じですよね。
提供する製品やサービスか、日本人担当者そのもが尖ってる、海外で競合の多いビジネスしていくには重要ですね。
Posted by いのっち at
07:54
│Comments(0)
2017/04/20
ベトナム事業に優秀な日本人責任者出せますか?
そんな中、経営者の方がベトナム進出に非常にやる気になっておられても、ベトナム事業の責任者が確保できないという話、最近よく聞きます。
また、既に進出済みの企業でも、後任でベトナムに行ってくれる人が確保できないので、今のベトナム駐在の方を帰らせることができないという話もちょくちょく耳にします。
それどころか、日本の事業の人員が確保できないので、ベトナムで人を採用できないかというという話もこの1,2年非常に増えています。
実際、「人手不足」、「就労時間の短縮」という2つの要素がいっぺんに中小企業にのしかかっている状態なので、海外どころか国内の事業に必要な人材をどう確保するのかの方が喫緊の課題なのでしょうね。
人の悩みはいつも中小企業の悩みではありますが、ベトナムに限らず海外でビジネスを行う場合、いかに優秀な立上げ責任者を確保できるのかというのがカギになる中で、その人員が確保できないから海外に出れないという企業、結構ありそうですし、
特にベトナムみたいなまさにこれから伸びる国は今足がかりをつけておかないといけない中で、乗り遅れる日本の中小企業、多そうです。
2017/04/19
北朝鮮のお姉さんに北朝鮮事情についてヒヤリング2
姉「今日のショーは良かったですか?」
僕「良かったですよ。ところで皆さんベトナムのTV番組とか見てるの?」
姉「はい、見てますよ」
僕「じゃ、今のアメリカとの緊迫した情勢も知ってるんだ。」
姉「はい、少しだけ」
僕「じゃ、アメリカの海軍が北朝鮮に向かっているの知ってる?」
姉「え、そうなんですか?(ほんとに知ら無さそう)」
僕「そうだよ、15日の日にも北朝鮮がミサイル発射したらしいよ。」
どうやら、ミサイルの発射に関してはまったく知らされていないようです。
姉「それはアメリカまで飛んだのですか?」
僕「いや、失敗だったみたいですぐ落ちたみたい。」
姉「なーんだ。でも、もしアメリカが攻めて来たら私たちはすぐ国に戻って、国の勝利のために戦いますので。」
そして、勘定を済ませて、外に出ようとしたら、
姉「今日はVIPルームには北朝鮮の人たちも来てますよ。」

僕「なるほど、だから1階の店員が少なかったんだね。」
姉「韓国の人と北朝鮮の人が一緒に食事してることもありますよ。」
まだまだ僕の知らない朝鮮半島事情があるようです。
真面目に働く彼女たちですが、きっぱりと
「アメリカと戦争になったらすぐ国に戻って戦います。」
と話したのは印象的でした。同じ世代の日本人女性で「国のために戦争に行きます」なんて言える女性何人いるだろう?と思うとやっぱり、思想教育による国への想いは本当に強いんだなと改めて実感しました。
また、ベトナムと北朝鮮は微妙な情勢ですが、このホーチミンの街でも結構北朝鮮の人は活躍してることや、それ以外の東南アジアの国々でも色々と活躍している話なども聞かせてもらい、なかなか興味深いヒヤリングでした。
マスコミが報道してくれないので日本人が知らないこといっぱいありますね。
僕「良かったですよ。ところで皆さんベトナムのTV番組とか見てるの?」
姉「はい、見てますよ」
僕「じゃ、今のアメリカとの緊迫した情勢も知ってるんだ。」
姉「はい、少しだけ」
僕「じゃ、アメリカの海軍が北朝鮮に向かっているの知ってる?」
姉「え、そうなんですか?(ほんとに知ら無さそう)」
僕「そうだよ、15日の日にも北朝鮮がミサイル発射したらしいよ。」
どうやら、ミサイルの発射に関してはまったく知らされていないようです。
姉「それはアメリカまで飛んだのですか?」
僕「いや、失敗だったみたいですぐ落ちたみたい。」
姉「なーんだ。でも、もしアメリカが攻めて来たら私たちはすぐ国に戻って、国の勝利のために戦いますので。」
そして、勘定を済ませて、外に出ようとしたら、
姉「今日はVIPルームには北朝鮮の人たちも来てますよ。」
僕「なるほど、だから1階の店員が少なかったんだね。」
姉「韓国の人と北朝鮮の人が一緒に食事してることもありますよ。」
まだまだ僕の知らない朝鮮半島事情があるようです。
真面目に働く彼女たちですが、きっぱりと
「アメリカと戦争になったらすぐ国に戻って戦います。」
と話したのは印象的でした。同じ世代の日本人女性で「国のために戦争に行きます」なんて言える女性何人いるだろう?と思うとやっぱり、思想教育による国への想いは本当に強いんだなと改めて実感しました。
また、ベトナムと北朝鮮は微妙な情勢ですが、このホーチミンの街でも結構北朝鮮の人は活躍してることや、それ以外の東南アジアの国々でも色々と活躍している話なども聞かせてもらい、なかなか興味深いヒヤリングでした。
マスコミが報道してくれないので日本人が知らないこといっぱいありますね。
2017/04/19
北朝鮮のお姉さんに北朝鮮事情についてヒヤリング1
緊迫する北朝鮮問題。そんな最中に久々に北朝鮮レストランにお客様と食事に行くことに。今の北朝鮮情勢、お姉さん達はどれくらいわかっているのだろうということであれこれ聞いてきました。
お店に入ったら、3年前からいるお姉さんが、
姉「あら、久しぶり。」
僕「お、まだいたんだ。前回(約半年前)店来た時に、確かそろそろ3年の任期だから帰るって言ってたのに。」
姉「そうなんです。3年過ぎてるんですが帰任命令が今のところ出て無くて。」
僕「へぇ、そうなんだ。」
と
3年前よりお互いにベトナム語も上達してるので、会話もスムーズに。
そして、いつものように料理を注文しましたが、いつもと変わらぬ味です。

給仕をしてもらいながら、身の上話。
僕「ところで、確か平壌出身だって聞いてたけど、家族は?」
姉「父と母と兄が平壌にいます。」
僕「お父さんは軍人?」
姉「いえ、違います。(詳しくは言ってくれませんでした)」
僕「お兄さんは」
姉「25歳ですが、まだ大学生です」
おそらくエリートなんでしょうね。
僕「ちなみにホーチミンの街には何人くらい北朝鮮人はいるの?」
姉「300人くらいです。この店にもちょくちょく来ますよ。」
貿易などの分野でいろいろと活躍しているみたいです。
続いて、彼女たちがどんな生活をしているかを聞いてみました。
僕「ホーチミン以外ではどこか行ったことある」
姉「はい、ニャチャンとムイネートブンタウにはみんなで旅行したことあります。」
僕「休みの日は買い物行くの?」
姉「はい、TAKA PLAZAとかに買い物に行きますよ。ただ、全員行動ですけど。」
そして、いつもと変わらぬショーが始まり、楽しいひと時を。


終わった後に、そろそろ本題に。
長いので続きは下記で。
お店に入ったら、3年前からいるお姉さんが、
姉「あら、久しぶり。」
僕「お、まだいたんだ。前回(約半年前)店来た時に、確かそろそろ3年の任期だから帰るって言ってたのに。」
姉「そうなんです。3年過ぎてるんですが帰任命令が今のところ出て無くて。」
僕「へぇ、そうなんだ。」
と
3年前よりお互いにベトナム語も上達してるので、会話もスムーズに。
そして、いつものように料理を注文しましたが、いつもと変わらぬ味です。
給仕をしてもらいながら、身の上話。
僕「ところで、確か平壌出身だって聞いてたけど、家族は?」
姉「父と母と兄が平壌にいます。」
僕「お父さんは軍人?」
姉「いえ、違います。(詳しくは言ってくれませんでした)」
僕「お兄さんは」
姉「25歳ですが、まだ大学生です」
おそらくエリートなんでしょうね。
僕「ちなみにホーチミンの街には何人くらい北朝鮮人はいるの?」
姉「300人くらいです。この店にもちょくちょく来ますよ。」
貿易などの分野でいろいろと活躍しているみたいです。
続いて、彼女たちがどんな生活をしているかを聞いてみました。
僕「ホーチミン以外ではどこか行ったことある」
姉「はい、ニャチャンとムイネートブンタウにはみんなで旅行したことあります。」
僕「休みの日は買い物行くの?」
姉「はい、TAKA PLAZAとかに買い物に行きますよ。ただ、全員行動ですけど。」
そして、いつもと変わらぬショーが始まり、楽しいひと時を。


終わった後に、そろそろ本題に。
長いので続きは下記で。
2017/04/18
知合いだらけの夜の日本人街
すると、20mも歩かないうちに先週伺った別のお店のオーナーさんとバッタリお会いし、ご挨拶。
そこから100mほど歩いたら、今度は前日ゴルフをご一緒した方にバッタリお会いしご挨拶。
その後、また50mくらいごとに2人知合いにバッタリお会いし、最後にはお客様のホテルの横でももう1名バッタリと。
たかだか500mほどの間に5名も知り合いにお会いしました。日本人街自体が大きくない上に1か所で、しかも日本人出張者もその周辺に泊まることが多いので、みんな夜になると集まってきてるってことなのでしょうね。ふだんも気づいてないだけで、これくらいの人数の知り合いと会ってるのかもしれないですね。
夜のお店のお姉さんと同伴で食事して店に歩いて向かってたら、何人に見られることやらって状態ですね。気をつけます。
2017/04/17
一人で飲みに行く店
僕はそもそもお酒を一人で飲むことがまずないので、「特にないです」としか答えれないのですが、皆さんちょくちょく一人で飲みに行っておられるようです。
多いのがレタントンのヘムの中にあるガールズバーでの一人飲み。確かにカウンターで一人で飲んでおられる方ちょくちょく見かけます。
同じく多いのが日本食屋のカウンター。確かにカウンターに置かれた日本のTV見ながら飲んでおられる方結構見かけます。
どちらもベトナム人の店員さんだけの店でも少しは日本語が通じるので、お気に入りの店で多少の日本語が話せてリラックスできてゆっくり過ごせるのでしょうね。
特に単身でベトナムに来ている人の中でお酒を飲んでリフレッシュというタイプにとっては、仕事でぐったりしている状態をリフレッシュできる場所、選ぶ基準や理由はそれぞれ十人十色なのでしょうね。お酒以外を含めるともっと様々なのは言うまでもないですが。
Posted by いのっち at
16:06
│Comments(1)
2017/04/16
ベトナムの北朝鮮の軍事パレードの紹介

ベトナムのニュースサイトでも今回のパレードの様子がアップされてました。
内容を見ている限り、兵器の説明とかが中心であまり政治情勢については触れていないようですが、ただ、様々な種類の兵器の写真がアップされてました。
日本のヤフーニュースとかではあまりパレードの詳細写真は見かけないですが、ニュースなどはどうだったのでしょうね。ベトナム戦争などの関係でかつてベトナムと北朝鮮は比較的結びつきが強かったようですが、最近は薄れてきていると言われている中で、先日もマレーシアの空港での事件もあったばかりの中で、
北朝鮮に肩入れするわけでもなく、淡々と事実を伝えているという感じなのでしょうかね。
Posted by いのっち at
08:40
│Comments(0)
2017/04/15
自分を捨てるか、ビジネス捨てるかの決断
数日前のランチ中に近くの席で、先輩経営者が後輩経営者にアドバイスしておられたのですが、すごくいい話だったのでちょっとご紹介。

どんなアドバイスだったかというと、
「ベトナムでビジネスしていると、日本でのこれまでの経験が全く通じない時があり、その時に現地の事情に合わせていかに柔軟な決断ができるが重要になってくる。自分のこれまでの実績を捨てるか、ベトナムビジネスを捨てるかみたいな決断になる時もあるからしっかり判断してください。」
とのこと。
いやぁ深いなぁと実感です。
確かに、日本のやり方と全く異なる状況も多々ある中で、
「日本での経験」
というのが時にビジネスのスピードを遅くしたり、足を引っ張るみたいなこと僕も含め誰しも味わってますし、
あるいは日本の感覚を日本本社から押し付けられて苦労しておられる現地駐在員の方は少なくない気がします。
それを「自分を捨てるか、ビジネスを捨てるか」という一言でまとめられるのって、それだけ厳しい決断の場面をたくさん経験してこられた証拠ですよね。
どんなアドバイスだったかというと、
「ベトナムでビジネスしていると、日本でのこれまでの経験が全く通じない時があり、その時に現地の事情に合わせていかに柔軟な決断ができるが重要になってくる。自分のこれまでの実績を捨てるか、ベトナムビジネスを捨てるかみたいな決断になる時もあるからしっかり判断してください。」
とのこと。
いやぁ深いなぁと実感です。
確かに、日本のやり方と全く異なる状況も多々ある中で、
「日本での経験」
というのが時にビジネスのスピードを遅くしたり、足を引っ張るみたいなこと僕も含め誰しも味わってますし、
あるいは日本の感覚を日本本社から押し付けられて苦労しておられる現地駐在員の方は少なくない気がします。
それを「自分を捨てるか、ビジネスを捨てるか」という一言でまとめられるのって、それだけ厳しい決断の場面をたくさん経験してこられた証拠ですよね。
Posted by いのっち at
09:43
│Comments(0)
2017/04/14
データで見るとホーチミン市は何年前の上海市の規模なのか
仕事の関係でちょっとベトナムと中国の経済統計を比較していたのですが、そんな中でホーチミン市と上海市はどれくらいの差があるのかというのが気になり、ちょっと調べてみました。
2015年ホーチミン市の1人当たりGDPは5,300USD程度のようですが、上海は16,300USD程度のようなので、1人当たりでおおよそ3倍の規模差があるようです。
そんな中、ホーチミン市の一人当たりGDPは何年前の上海市なのかと調べてみたところ、諸説あるのですが、どうやら2003年頃には1人当たりのGDPが5,000USDに到達したようなので、今のホーチミン市は2003年の上海市に近い水準のようです。
ただ、上海のデータは当時の登録人口が約1,300万人でそれによって上記1人当たりGDPは計算されているので、街のGDPの規模としてはホーチミン(約800万人)より遥かに大きいですし、登録していない人口が何百万人もいたでしょうから、もっと消費力は高かったのでしょうね。
ちょうど2003年に僕は初めて上海に行ったのですが、その頃はもう人民服を着ている人は見かけなかったものの、まだまだ上海も豊かとは言い難かったし、当時はローカルの店に入るとすごく安かったというイメージが残ってます。
当時、新天地ができて間もない頃で、そこにオープンしたスタバもほぼ外国人が利用してました。
それが、13年後の2016年(去年)訪問した時の上海の中心街はもはや東京よりも発展していましたし、
新天地のスタバもほぼ中国人(多分上海の人ではない地方からの観光客)が利用していて13年でこんなに変わるんだとびっくり仰天した記憶が。
同じように推移するのなら、ベトナムもあと15〜20年後にはひょっとすると今の上海くらいまで発展するのかもってちょっと期待してしまいます(ま、発展し過ぎて住みにくそうでしたが)。
参考までに今のベトナムの中心街(Nguyen Hue通り)と去年の上海の浦東エリアの写真を上げてみます。
ホーチミン2017年(Nguyen Hue通り)
上海浦東地区2016年

果たしてここまで変化するものなのか、15年後が楽しみです。
2015年ホーチミン市の1人当たりGDPは5,300USD程度のようですが、上海は16,300USD程度のようなので、1人当たりでおおよそ3倍の規模差があるようです。
そんな中、ホーチミン市の一人当たりGDPは何年前の上海市なのかと調べてみたところ、諸説あるのですが、どうやら2003年頃には1人当たりのGDPが5,000USDに到達したようなので、今のホーチミン市は2003年の上海市に近い水準のようです。
ただ、上海のデータは当時の登録人口が約1,300万人でそれによって上記1人当たりGDPは計算されているので、街のGDPの規模としてはホーチミン(約800万人)より遥かに大きいですし、登録していない人口が何百万人もいたでしょうから、もっと消費力は高かったのでしょうね。
ちょうど2003年に僕は初めて上海に行ったのですが、その頃はもう人民服を着ている人は見かけなかったものの、まだまだ上海も豊かとは言い難かったし、当時はローカルの店に入るとすごく安かったというイメージが残ってます。
当時、新天地ができて間もない頃で、そこにオープンしたスタバもほぼ外国人が利用してました。
それが、13年後の2016年(去年)訪問した時の上海の中心街はもはや東京よりも発展していましたし、
新天地のスタバもほぼ中国人(多分上海の人ではない地方からの観光客)が利用していて13年でこんなに変わるんだとびっくり仰天した記憶が。
同じように推移するのなら、ベトナムもあと15〜20年後にはひょっとすると今の上海くらいまで発展するのかもってちょっと期待してしまいます(ま、発展し過ぎて住みにくそうでしたが)。
参考までに今のベトナムの中心街(Nguyen Hue通り)と去年の上海の浦東エリアの写真を上げてみます。
ホーチミン2017年(Nguyen Hue通り)

上海浦東地区2016年

果たしてここまで変化するものなのか、15年後が楽しみです。
2017/04/13
毎年1,000人以上が人身売買されるベトナム
ベトナムのニュースサイトを見ていたら、見出しに7人の女性を性奴隷として中国に売り渡したベトナム人男性が逮捕されるというニュースが出てたので、どんな記事なのか見てみました。

彼は南部のメコンデルタ地域の田舎の方で、ハノイの方で良い給料が貰える就職口があるから働きに行かないかと誘い出し、そのまま中国に連れ去って風俗の斡旋業者に1名に付き530USDで売り渡していたとのことです。
これだけでもすごい記事なのですが、その記事の下の方に昨年だけでも1,100名くらいのベトナム人が人身売買の対象となり、その大半が女性と子どもだったという記述が。
実際、全員が上記のように騙されて売り渡されていたように、自分の意思に反して人身売買されてるのではないような気が。もし、全員自分の意思に反してなら社会問題になってる気がしますので。昨夏に上海でインタビューしたベトナム人売春婦たちも本人の意思で来てはいるものの実はこの1,100人に含まれているような気がします。
ベトナムには自分の知らない世界がまだまだたくさんあるなぁと改めて思いました。

彼は南部のメコンデルタ地域の田舎の方で、ハノイの方で良い給料が貰える就職口があるから働きに行かないかと誘い出し、そのまま中国に連れ去って風俗の斡旋業者に1名に付き530USDで売り渡していたとのことです。
これだけでもすごい記事なのですが、その記事の下の方に昨年だけでも1,100名くらいのベトナム人が人身売買の対象となり、その大半が女性と子どもだったという記述が。
実際、全員が上記のように騙されて売り渡されていたように、自分の意思に反して人身売買されてるのではないような気が。もし、全員自分の意思に反してなら社会問題になってる気がしますので。昨夏に上海でインタビューしたベトナム人売春婦たちも本人の意思で来てはいるものの実はこの1,100人に含まれているような気がします。
ベトナムには自分の知らない世界がまだまだたくさんあるなぁと改めて思いました。
2017/04/12
サイゴンのベトナム戦争時の韓国軍慰安所の話
数年前にベトナム戦争時に韓国人向けの慰安所がサイゴン(今のホーチミン)に存在していたということを村山康文さんというジャーナリストが書いた記事やTBSの山口敬之さんがアメリカで発見した公文書について週刊文春に載せた記事などでご存知の方も多いかと思います。

ベトナム戦争当時、貧しかった韓国は朴正煕政権で外貨獲得の一環として、ベトナムに兵を送りこみ、ピーク時には5万人くらい駐留していたようで、戦場で活躍とともに民間人の虐殺や強姦事件などを多数起こしたというのは有名な話ですが、
それ以外にも「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として、国内よりも高い賃金目当ての韓国人労働者や商社などの2万人近い民間の韓国人が主にサイゴンの街でビジネスを行っていたようです。
そんな中で亀山旭さんという共同通信社の記者の方が「ベトナム戦争 -サイゴン・ソウル・東京」という本で当時の韓国人(兵)のサイゴンでの様子が描かれてます。
「サイゴンの街頭ではカメラを下げた韓国人の姿を間断なく見ることができる」
とか
「高級クラブから売春バーに至るまで韓国人の客でにぎわっていた。またタンソンニュット空軍基地内にあるゴルフ・クラブの会員数は米国人に次いで韓国人が2位だった」
と書かれているところからして、今のベトナムにおける韓国人と変わらぬ状況だったようです。
そんな中、
「サイゴンでは68年のテト攻勢以来非常事態ということでダンスが禁止されていたが、韓国人専用の秘密クラブではダンスをすることができた。相手のホステスはすべてベトナム人。」
中略
「このクラブの上はやはり韓国人経営のトルコぶろで、マッサージ・ガールはそのまま売春婦にもなる。このようないかがわしい職業で、金もうけに狂奔する韓国人も多く、また韓国軍の兵士たちと異なり、女性関係のいざこざも多かったようだ。」
また、別のページに
「ベトナムにいる韓国軍兵士たちの給与は月約60ドル、士官は150ドル程度。いずれも米国が支払っている。ほとんどの兵士たちは故国の貧しい家族たちに仕送りしているので遊ぶ金は無い。」
と書かれています。
また、Wikipediaにベトナム戦争時の韓国軍のサイゴンでの慰安所の話が書かれているのですが、
「売春婦は一晩をともにできる。料金は4500ピアストル(38ドル)」
と書かれており、兵士の所得(しかも大半は故国へ送金)と慰安所の値段の文章から推察するに上記のようなところで楽しくやっていたのは武器商人じゃないですが、ベトナム戦争特需で一儲けした民間人と一部の上級将校が大半だったのではと思われます。
ただ、同じようなことは太平洋戦争時マニラで起きていたようです。
今日出海さんの「悲劇の将軍」という戦争時のフィリピンでの様子をまとめた本にその様子が描かれていて、
軍と結託した商人や火事場泥棒のような商社の社員が滞在中は内地ではできぬ快楽に耽っていて、南方呆けした将校たちと夜な夜な遊んでいる
と書かれています。
きっと、赤紙1枚で召集された一兵卒の日本人たちはそんな楽しみもほとんど知らぬままにフィリピンで倒れ帰らぬ人となったのでしょうね。
今、北朝鮮問題を巡って一触即発の事態が起きるかもという状況ですが、上記のような記述を見ていると、戦争というのは一部の商人たちを儲けさせ、その何倍もの悲劇に遭う民間人を生み出すために兵士たちが戦い、そして死んでいくのかなぁと思ってしまいます。
できることなら上手く戦争が起きずに良い形で南北問題が終結すると良いのですが。

ベトナム戦争当時、貧しかった韓国は朴正煕政権で外貨獲得の一環として、ベトナムに兵を送りこみ、ピーク時には5万人くらい駐留していたようで、戦場で活躍とともに民間人の虐殺や強姦事件などを多数起こしたというのは有名な話ですが、
それ以外にも「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉として、国内よりも高い賃金目当ての韓国人労働者や商社などの2万人近い民間の韓国人が主にサイゴンの街でビジネスを行っていたようです。
そんな中で亀山旭さんという共同通信社の記者の方が「ベトナム戦争 -サイゴン・ソウル・東京」という本で当時の韓国人(兵)のサイゴンでの様子が描かれてます。
「サイゴンの街頭ではカメラを下げた韓国人の姿を間断なく見ることができる」
とか
「高級クラブから売春バーに至るまで韓国人の客でにぎわっていた。またタンソンニュット空軍基地内にあるゴルフ・クラブの会員数は米国人に次いで韓国人が2位だった」
と書かれているところからして、今のベトナムにおける韓国人と変わらぬ状況だったようです。
そんな中、
「サイゴンでは68年のテト攻勢以来非常事態ということでダンスが禁止されていたが、韓国人専用の秘密クラブではダンスをすることができた。相手のホステスはすべてベトナム人。」
中略
「このクラブの上はやはり韓国人経営のトルコぶろで、マッサージ・ガールはそのまま売春婦にもなる。このようないかがわしい職業で、金もうけに狂奔する韓国人も多く、また韓国軍の兵士たちと異なり、女性関係のいざこざも多かったようだ。」
また、別のページに
「ベトナムにいる韓国軍兵士たちの給与は月約60ドル、士官は150ドル程度。いずれも米国が支払っている。ほとんどの兵士たちは故国の貧しい家族たちに仕送りしているので遊ぶ金は無い。」
と書かれています。
また、Wikipediaにベトナム戦争時の韓国軍のサイゴンでの慰安所の話が書かれているのですが、
「売春婦は一晩をともにできる。料金は4500ピアストル(38ドル)」
と書かれており、兵士の所得(しかも大半は故国へ送金)と慰安所の値段の文章から推察するに上記のようなところで楽しくやっていたのは武器商人じゃないですが、ベトナム戦争特需で一儲けした民間人と一部の上級将校が大半だったのではと思われます。
ただ、同じようなことは太平洋戦争時マニラで起きていたようです。
今日出海さんの「悲劇の将軍」という戦争時のフィリピンでの様子をまとめた本にその様子が描かれていて、
軍と結託した商人や火事場泥棒のような商社の社員が滞在中は内地ではできぬ快楽に耽っていて、南方呆けした将校たちと夜な夜な遊んでいる
と書かれています。
きっと、赤紙1枚で召集された一兵卒の日本人たちはそんな楽しみもほとんど知らぬままにフィリピンで倒れ帰らぬ人となったのでしょうね。
今、北朝鮮問題を巡って一触即発の事態が起きるかもという状況ですが、上記のような記述を見ていると、戦争というのは一部の商人たちを儲けさせ、その何倍もの悲劇に遭う民間人を生み出すために兵士たちが戦い、そして死んでいくのかなぁと思ってしまいます。
できることなら上手く戦争が起きずに良い形で南北問題が終結すると良いのですが。
Tag:韓国軍 ベトナム 慰安婦
Posted by いのっち at
00:01
│Comments(0)