2015/04/30
サイゴン陥落の実際
ちょっとベトナム戦争終結にまつわる意外な小話を。
最後の作戦ということでホーチミン作戦という作戦名で北ベトナム軍はホーチミン市内に突入し、4月30日、南ベトナム政府の大統領官邸であった現在の統一会堂に突入、そして最後の南ベトナム政府の大統領だったDuong Van Minhがラジオで降伏宣言を読み上げベトナム戦争終結となったというのはベトナム戦争について多少の知識を持った人なら知っている内容ですが、
南ベトナム臨時革命政府の大臣であり、ベトナム統一後ボートピープルとしてフランスに脱出したTruong Nhu Tangさんの伝記はじめ様々な書籍を読む限り、ベトナム戦争後に少なくとも1974年末くらいまでは北ベトナム政府としてはベトナム全土統一まではあと数年はかかるという前提で動いていたようです。
というのも実際に軍事行動に移せばアメリカ軍は再びベトナムに戻ってくる可能性すらあると考えていたのと南ベトナム政府はもう少ししっかりしていると北ベトナム政府としては見ていたようです。
ただ、アメリカの動きを観察している中で、ウォーターゲート事件でニクソン大統領が失脚するという事態が起き、これで南ベトナム政府を支援するための介入は当分できないだろうということでいよいよ作戦行動に移ったようです。
ただ、それでもサイゴン陥落は1976年を想定していたようなのですが、1975年3月半ばのバンメトートでの自壊に近い南ベトナム軍の敗北などで一気に南ベトナム政府が崩壊していく中、一気に雨季が始まるまでにサイゴンへということになったようです。
そのため、最後の作戦としてホーチミン作戦と名付けられたのも4月に入ってからだそうです。
近藤絋一さんのサイゴン陥落時の本を見ても、本の最初のころはまだまだのんびりとした話題が書かれているのが4月半ばに入ってから一気にサイゴンの街が緊迫し、人々が様々な脱出方法を試みる様子が描かれ、近藤さんにも日本へのビザを発給してもらえないかという相談が寄せられていることが書かれています。
そして、4月30日にサイゴン陥落、ベトナム戦争終結となるわけですが、ある意味この南ベトナム政府の自壊は北ベトナム政府にとっても誤算だったようで、南ベトナムを支配してからの自治の体制などが決まってなかったり、自治に必要な人員の育成も十分に進んでなかったことが戦後の南ベトナムの混乱に拍車をかけたようです。
自由経済だった南ベトナム領域内で一気に社会主義化を進められた中で、当時の南ベトナム在住のベトナム人の人たちの暮らしは激変したのでしょうね。
歴史に「たられば」は禁句とは言いますが、もし、南ベトナム軍が多少持ちこたえ雨季まで耐えてたら今頃ベトナムはどんな国になってたのでしょうね。何はともあれ平和なベトナムで仕事ができる今の時代に感謝しないとですね。
Posted by いのっち at 00:21│Comments(0)