2020/03/21

肺炎で人工呼吸器つけたら、どれくらい回復が大変かって話

メディアの報道などで、

「今回のコロナウイルスの重篤化(人工呼吸器つけないといけない状態)する人はせいぜい1割で、亡くなるのは2~3%で高齢者ばかりだから、若者はあまり怖がらなくて良い」

みたいな意見がありますが、肺炎は重篤化して人工呼吸器つけて回復してもその後の後遺症やリハビリが相当きついです。重篤化して人工呼吸器つけないといけなくなるとどれくらいきついかを僕の経験談を通じてお伝えしようと思います。

既にこのブログなどでご覧くださっている人もいるかと思いますが、僕は2017年12月に肺炎が重篤化し生死を彷徨い約10日ほど人工呼吸器のお世話になりました(いわゆる挿管状態)。




人工呼吸時は身体を動かすどころか、起き上がることさえ出来ない状態で、ようやく管が取れて、リハビリかねてトイレに自力で行ってよいですよってことになり、喜んでトイレに行こうとしたのですが、ベッドから降りた瞬間に大変



もはや、自分の身体では無くなってしまっていました。

そこから退院まで2,3日、懸命のリハビリを行ったのですが、それはもう壮絶なものでした。

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感想(3件)




それだけ頑張って退院し、日本に戻ろうとしたのですが、空港内をまともに歩くことすらできず、車椅子で移動することに。ほんと、たった3cmの段差あるだけで、バランス崩れるくらいなんです。



これくらい体力って落ちるものなんです。

日本での再度の入院が終わり、退院以降、この落ちた体力を取り戻すために散歩等々色々と取組みました。退院して数日後に最初に地下鉄の階段を20段ほどトレーニングのために登ってみたのですが、登りきった瞬間、心臓が口から飛び出るんじゃないかってくらいに心臓がバクバクしてて、5分間くらいまともに動けない状態。

「うわぁ、この体力の落ち方、本当にヤバイ」

って実感した瞬間でした。ただ、これを繰り返さないと体力・筋力は戻らないってことで、毎日最寄り駅まで歩いて行って階段の昇り降りを繰り返し、少しずつ筋力を戻していきました(もちろんそれ以外にもいろいろと行いました)。

言葉で表すと理解しにくいかもしれないですが、学生時代に運動系のクラブに所属されてて、練習で400m走とか600m走というトレーニングを積まれた経験のある人だったら分かると思いますが、あれを毎日何本もこなすくらいのきつさです。

キャプテンのみが本日の本数を知っていて、しかも一定基準をクリアできなかったらアゲインみたいな地獄のようなトレーニングをしてるような時の感覚。

登ってる最中ですら心臓バクバク、頭がグラグラして意識失いそうなくらいのきつさで、ただただ先に見えるゴールだけを見据えて登り続け、終わったら、何の言葉も発したくない状態で2~3分休み、再び地下鉄の階段を下りて、もう一度チャレンジする。

これを毎日5~10本程度繰り返しました。これだけやってようやく2週間位したら、地下鉄の階段を登りきっても少し息が上がるものの支障なく登れるレベルに。日常のごくごく当たり前の行動に必要な筋力を元に戻すだけでこれくらいのリハビリトレーニング必要なんです。

10日も人工呼吸器つけた状態まで体力落ちるとこれくらいやらないと筋力なんて戻っていかないんですよ。

そして、入院から1ヵ月後くらいにようやくベトナムに戻ったのですが、実家~空港~ホーチミンの自宅という普段ならなんてこと無い移動を行っただけで到着したらもうグッタリ。

何とかその3日後から会社に出勤したのですが、あまりにも体力が落ちすぎていて、当初は1日5時間程度の時短業務でもグッタリ。本当に1日8時間働けるようになるのに3ヶ月以上かかりました。

そして、感覚的なものですが病気前と同じくらいの体力に戻ったなというのはだいたい1年半かかりました。ちなみに僕は病気した時、42歳ですので。

僕の経歴知らない人がほとんどでしょうからお伝えしますと、大学までずっと体育会(そこそこ強いチームでした)でラグビーしてて、卒業後も数年間は社会人チームでプレーしてて、辞めてからもある程度運動続け、40代なっても週に2,3回はジムに行き、ゴルフも月1,2回はこなしてました。それでも10日間人工呼吸器つけてるとこれくらい体力落ちます。

ウェートトレーニング経験者なら分かる話としてお伝えしますと、入院前、僕はベンチプレス80kg×10回くらいはこなせるだけの筋力がありました。それが退院し、ベトナムに戻ってきて1週間くらいして始めてジムに行ったときにできたのは40kg×5回。

あまりの筋力の衰えにジムのオーナーが、

「お前、最近来てなかったけど、いったい何があったんだ?」

と思わず駆け寄ってくるレベル。

20代はもう少しましかもしれませんが、30代40代で重篤化すると体力回復までほぼ同じような状態になると思います。60代とか70代で同様の状態になると、仮にコロナウイルス肺炎は治っても、100%元通りの日常生活送るのすら難しいと思います。

体力面での回復にはこれくらいかかったものの何とか回復しましたが元には戻りました。ただ、2つの後遺症はいまだに残っています。

1つ目は腎臓への後遺症。肺炎になった時、多臓器不全状態&かなり強い抗生物質を大量に入れた状態で、僕の腎臓は完全に潰れてしまったようです。退院直後の腎臓の数値は辛うじて人工透析を受けなくても良いくらいのレベル。

腎臓というのは一度悪くなると元に戻らないそうで、病院の腎臓内科の先生からは

「10年は何とか人工透析せずにいきたいねぇ」

みたいなことを言われるような状態でした。

ただ、先生の予想を大きく裏切ってくれてかなり回復し、一般成人の半分くらいの機能までは回復してくれたので、多少の食事制限はあるものの何とか日常生活は送れている状態です。ただ、この食事制限はほぼ一生続きます。

そして、もう一つが三半規管。肺炎が重篤化し、血圧が上が39まで下がってしまったのですが、その時に耳に血液が上手く流れず、おかしくなってしまったようです。

退院した当初は何かふわふわすると思っていて、筋力が落ちたからなのかなぁと思っていたのですが、筋力が戻っても全く変わらず、退院から1ヶ月以上たってもちょっとした段差を降りるだけで落とし穴にでも落ちたくらいに脳が揺れる状態で、これは何かおかしいということであちこちの耳鼻科等々行ってみたのですが、結論としては時間が治してくれるだろうとのこと。

そこから2年経ちましたがいまだに多少は残ってます。その関係で時々ジムに行く以外ゴルフ含めて運動は全て止めています。この後遺症もかなり長く続きそうです。

ちなみに僕の主治医が治療を開始するに当たり、付き添いの友人に迫ったのが、

「この人は仮に生き延びたとしても50%くらいの確率で半身不随以上の後遺症が残るから、仮にそうなっても病院の責任じゃないという書類にサインして欲しい」

らしいです。友人がそんな重たい書類にサインしてくれたから今があります。

とここまで長い僕の体験談を読んでくださった皆さん、今回のコロナウイルスは若い人は重篤化しにくいし、死亡率低いとはいえ、重篤化が若いから仮にかかっても10%程度だとしても、10%の確率でこれくらいの後遺症に陥るのですが、それでも気にせず外出されます?

もう一度、感染しないように行動を見直してもらえたらなというのが正直なところです。今は外出するより家で過ごして出来る限り感染可能性を減らして頂けたらと思います。

世界中にここまで感染が広がってしまっているため、世界中が元通りの経済状態に戻るのは数年以上かかるでしょうし、ワクチンが開発されない限り、元通りの姿には戻らないかもしれないですが、元気に生きていくことができれば、いつか経済は今と違う形になったとしても復活しそこで活躍することはできるはずですので。

何とかそこまで皆さん助け合いながら耐え抜きましょう。


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Posted by いのっち at 12:33Comments(0)ベトナム肺炎入院生活

2019/04/09

ベトナム医療事情勉強会

先週木曜日に中島先生とご一緒にベトナム医療事情勉強会の方を開催いたしました。

テーマが興味深いものだったからか、ネットからの問い合わせなど含めて全部で28名の参加でした。

しょうきさんで場所をお借りし、前半は僕が実際の体験談として、ベトナムで入院して死にかけるとこうなるみたいな話をさせて頂き、

後半は中島先生がベトナムの医療事情ということではしかの流行はじめ、様々な角度からベトナムの医療事情の現況について教えてくださいました。




今回の僕の病気についても色々と話してくださいましたが、病状が悪化した原因にこちらの外国人医師の能力不足と外国人医師との英語でのコミュニケーションの限界があるようです。

上手く的確にこちらも症状が伝えられない中で、医師の方もそんなに臨床経験が多くない場合にはこのような事故は往々にして起きるようです。

そんな中で、ベトナムの医療レベルの現況はどうなの?

というのを理解する目安として、5歳未満の死亡率が参考になるそうで、

ベトナム:1,000人中22人

なのだそうです。

日本:1,000人中3人



カンボジア:1,000人中31人
タイ:1,000人中12人
韓国:1,000人中3人

(世界子供白書、2016年より)

なので、カンボジアよりはましだけど、日本や韓国のような医療先進国、あるいは近隣で日本人駐在員も多い上に、ベトナムでの手の施しようが無い場合に緊急搬送で運ばれるタイと比べると相当悪いというのが実情のようです。

ベトナムで在住日本人が安全に過ごすためには日本人社会として何か医療支援体制を整備する必要はあるよなぁとちょっと実感しました。

僕自身が非常に辛い目に遭った経験者ですので、このようなことを少しでも防げるような取り組みには今後力を入れていきたいと思います。ブログをご覧くださった方でご協力頂ける方、あるいは何か相談したい方いらっしゃれば遠慮なくご連絡ください。

ベトナムの実際の医療事情は下記ブログに書いておりますのでご参考ください。


  


Posted by いのっち at 12:00Comments(0)ベトナム肺炎入院生活

2019/03/09

病後1年の近況報告

たくさんの方にご心配頂いた肺炎での危篤入院から1年(と数か月)経ちました。

そういや、全然その後についてブログに上げてなかったなということで久々に近況報告を。

退院してから数か月間は体力もかなり落ちていたということもあり、日々生活を送るのが精一杯という状態でしたが、



昨夏くらいにはほぼ体力も元通りまで戻り、今では完全に日常生活や日常業務は問題なくこなせております。

肺炎自体はもちろん完治している状態ではあるのですが、後遺症として三半規管がおかしくなっているのと、腎臓に後遺症が残っている関係で、ゴルフは完全にお休みしているのと、食事もタンパク質、塩分は控えめという状態になっています
(週に何度かは会食にも出かけてますが、危篤時に肝不全になった関係で、お酒は完全に断っているので、かなり健康的な生活です)。

どっちも生きていくのに大きな支障のあるレベルでは無いし、病後間もない頃よりはかなり改善しているので、生きてるだけで儲けものってことで、長いお付き合いをしていくことになりそうです。

振り返ってみて、直接的な肺炎の原因ではないですが、病気をする前はかなり不健全な生活をしてたなぁと。医学的に証明されているかは分かりませんが、ある人から言われたのは、人間には蓄積疲労というものがあり、あなたみたいな生活をしていたら健康診断には出ない疲労が体内に蓄積していて、それが50代くらいで一気にどこかに出てきてもっと大変なことになってただろうとのことでした。肺炎にならなかったら、50歳くらいでもっと大きな成人病を発病してた可能性もありそうです。

この体験及び、ベトナムでの医療事情についてはきちんと皆さんに共有しておかないとということで、4月4日にラッフルズ病院の中島先生と一緒にベトナム医療事情について勉強会を開きますのでまた、ご興味ある方はご連絡ください。

そもそもどんなことになってたのとご興味ある方は下記ページをご覧ください。





  


Posted by いのっち at 12:44Comments(2)ベトナム肺炎入院生活

2018/12/09

母国で死ぬのと異国で死ぬのとでは全然違うから

改正入管法の審議の中で、

法務省が把握しているだけで技能実習生が3年間で69名亡くなっている

ということが議論に上がっていたそうで、国会議員の方が


「あなたに人の痛みが分かるのか」

みたいなことを絶叫されたり、

この亡くなっている人数が同年代の日本人と比べて多いのか少ないのか、

あるいは技能実習生は健康な人間だからおかしいとか云々





というような議論がメディア含め民間含め行われてますが、実際にちょうど1年前にベトナムで死の寸前までいった体験のある僕の、その時の体験談から私見を。

まず僕自身はどのような体験をしたかというと、肺炎が重篤化し、重度の敗血症になり敗血症性ショック状態を起こし、最高血圧が40を切るという状態になり、呼吸器不全、腎不全、肝不全になりました(その時の体験談は下記ブログを)。



そして、担ぎ込まれた病院でICUに入れられ、助けに来てくれた元部下が徹夜で病院側と必死の折衝を行ってくれ、何とか治療を始めてもらったものの、毎晩、今夜が峠かもみたいなことを言われている中、2日後にようやく日本側の家族に連絡が付き、大慌てでエアチケットを取って、ようやくベトナムに到着したのが危篤になって4日後(もうとっくに意識ない状態でした)。

つまり、それまでに死んでたら、家族のだれにも看取られず、異国の地で元部下及び数名の人に見送られてあの世に行っていたわけです。

また、そこに至るまでも何度も訪問したファミリーメディカルという悪名高い病院が全然病状を理解してくれず、何度も病院に行って、こんなに苦しい状態が1週間も続いているのはおかしいと訴えてもHIVじゃないかとか理解不能な判断をされたりずっとし続けた上で、苦しみ抜いて死ぬところでした。




言葉もあまり通じない異国で病室で、病状の詳しい説明などもまともに受けられず、分かっているのは重度の肺炎ということと、高熱が続いていることと、酸素吸入量が減少していることのみ。この先何が起きるかも分からない心細い状態を過ごした後に死ぬって正直辛いなんてレベルじゃなかったです。

突然死に近い状態なら日本でも同じかもしれないですが、まだ意識もある時に、家族にすら知らない状態で死へと進んでいくのかもという辛さ、母国で死ぬのより遥かに辛いですから。日本で同年代の人がどれくらい亡くなっているのかとの比較というのは正直死ぬ辛さが全然違う中でナンセンスな比較だなと思います。

僕は何とか救われましたが、それを69名の技能実習生が味合われたということで。69というのは単なる数字じゃなくて、このような辛さを味合われた人数(しかもほとんどが20代)ですので。

その時に懸命に看病してくれた元部下、あるいは日本への緊急搬送のためにお金をみんなでかき集めようと走り回っていてくださった方、あるいは弊社の当座の現金などを立て替えてくださった方などのご恩は一生忘れないですし、今後あらゆる場面でお返しをしていこうと思っております。

なかなか実体験しないと通じない部分も多いかと思いますが、異国で死ぬというのは本当に辛いことです。

その経験をされた69名の方がどんなに辛い思いで亡くなったのか、あるいは彼らの帰りを待ち続けていた母国の家族が、助けに行くこともできずどんなに辛い思いで彼らの死を受け入れたのかというのは今後も多数の外国人労働者が日本に来る中で理解しておくべきだと思います。

  


2018/04/28

緊急時に備えて動脈に点滴用の軌道を設置

遅れ遅れになってますが、日本入院時代の続きを。

突如入院宣言が行われたもののしばらくは施術室で点滴を受けながら待機状態。

しかもそれが2時間近く続き、「なんでなんだろう?」と思いながら横になっておりました。





そして、ようやく部屋が空いたってことで案内されたのはICU。しかもICUの中でも個室になっている部屋でした。どうやら、この特別室に入っていた患者さんを動かすのをはじめ、玉突き状態で僕の部屋を確保するために時間がかかっていたようです。

確かにまだ全然治っていないことは先生からの説明で理解していたのですが、まさかこんな部屋に入れられるほどの症状だったとはとちょっと愕然とする状態。

そして部屋に入った直後に看護師さんから、「不整脈による万一の際に備えて、動脈から点滴治療する用の軌道を確保します」と言って管から点滴液を入れるための装置が付けられました。

そこで、「ああ、そんなにひどい状況なんだ」と改めて認識するとともに、日本に帰ってきたけど、このままこの病院で死ぬ可能性すらあるんだなと今更ながらまだ全然危機が去っていないことを実感することになりました。

これまでの経緯はこちら。



























2018/01/13



























  


Posted by いのっち at 12:47Comments(0)ベトナム肺炎入院生活

2018/04/12

命の恩人へのお礼

去年末の入院の際の話はこのブログにたくさん書いてきましたが、実はそんな中で僕が書ききれていない内容があります。

それは僕が意識を失っていた時です。

(入院時の話は下記から)



何も対応してくれず肺炎であることすら見抜いてくれなかった、ファミリーメディカルクリニックから緊急で国立病院に搬送される時、「これはやばい」ということで、昔、弊社で働いてくれていた社員にSOSの連絡をしました。

すると彼女は事態を理解して夜にもかかわらずすぐ病院の方へ駆けつけてくれて、先生や看護婦さんとの通訳、入院に必要な手続きなどをしてくれた上に、病状がどうなるか分からないくらいに重篤だったので、その日は病院に徹夜で残ってくれました。

また、その後僕が意識を失っている中、連日仕事を休んで治療を進めるための交渉や、日本の家族に緊急連絡をするために動き回ってくれたり、病院の先生から、

「後遺症が残る場合がありますが、それに対して病院に対して責任を負いません」

というような書類に家族以外であるにもかかわらず彼女がサインしてくれたおかげで、何とか治療を始めてもらうことができ、何とか一命を取り留めたというのが実際のところです。

無事、退院して何とか日常生活に戻れた中で、発病後4か月目にしてようやくお礼の食事に行くことができ、彼女と彼女の家族と一緒に久々に4PSへ。こうやって一緒に食事できるところまで回復したのだなぁと彼女に感謝しながら食事しておりました。



彼女以外にもほんとたくさんの方に助けてもらったことで何とかスムーズに業務復帰をすることができました。ほんと、この有難さを実感しながらこれからもベトナムと日本の橋渡しとなれるように頑張らないとと思います。

  


Posted by いのっち at 15:38Comments(6)ベトナム肺炎入院生活

2018/03/31

日本で再びICUへ

今回の入院について、日本に一時帰国するまでのところはこのブログにアップしていたのですが、ベトナムへの復帰やその後ベトナム生活の記事を書いたりしている中で、

なかなか日本帰国後の治療について書くことができなかったのですが、これも書きまとめておいた方が良いと思うので、日常のブログの合間を見ながら更新していこうと思います。

何とか関空に到着し、家族のサポートで大阪市内の実家に戻ることができました。その日はまずはゆっくりとということで家で過ごし、翌朝市内にある総合病院へ。

ベトナムで肺炎にかかり2週間入院していたということで転院治療にあたり再度検査を受けることに。血液検査やレントゲンなどベトナムでも受けていたものを再度受けて診察を待つことに。

体力的には相当落ちていたものの、日本に戻れたくらいなので数値も良くなりつつあるのだろうと思っていたところ、診察室に呼ばれ部屋に入った瞬間に、

「君、これ全然治ってないぞ、レントゲンからも明らかに肺炎症状が分かる状態や。君はまだ辛うじて峠は越えただけで、いつぶり返してそのままあの世に行っても不思議じゃない。しかも腎臓、肝臓の数値が異常値になってるからこのままだと突然心臓が止まる恐れがある。しばらく緊急入院してもらう。」

とまさかの非常事態宣言。せいぜい経過入院くらいに思っていたのが生命の危機すら脱していなかったようです。詳しくは次回以降に書きますが、ベトナム側としては何とか小康状態になったから日本帰国を許してくれただけだったみたいです。


これまでの経緯はこちら。



























2018/01/13



















  


Posted by いのっち at 22:00Comments(0)ベトナム肺炎入院生活

2018/01/20

もし今、余命2週間と言われたら残り期間で何します?

今回、発病してから危篤状態になるまではたったの10日間でした。もし、あのまま亡くなっていたら2週間前には健康だった人間が突然死したくらいの状況になっていたところでした。

ただ、肺炎以外でも心臓発作や脳卒中など、発病して数日で亡くなってしまうっていうのは僕ら世代でもいくらでも起こりうることです。

最近、お客様なんかとよく話すのは、

「もし今、余命2週間と言われたら残り期間で何します?」

という話。

僕の場合が実質2週間だと考えた時に、もし、余命2週間と宣告されたら、残された時間でまず何しますか?ってことなのですが。

皆さん、

・会社の引き継ぎ(代表者変更)作業の書類にサインします

とか、

・ともかく家族や近しい友人に最後のあいさつします

みたいな回答になるのですが。

もちろん1つの正解などなく、100人いれば100人なりの正解がある話ではあるのですが。

ちなみに僕が病気でかなりやばい状態(入院3日前)くらいにできたことと言えば、勉強会の不参加並びに参加メンバーの伝達、ゴルフコンペ(幹事)の引き継ぎ(かなり失敗)、妻へかなり症状やばいから入院するって伝えたことくらい。最後の挨拶どころか、会社のスタッフにすら、まともに詳細な業務指示も与えられないまま入院って状態で、

お世話になっている方がFBページに書き込んでくださったことにより、ようやく皆さん僕がとんでもないことになっていると気づいて頂けたような状態。ほんと、いろんな人にご迷惑をかけてしまいました(2週間後にICUに入るなんて先生から宣告されてなかってのもありますが)。

ただ、そんなことを宣告された時に、やり残してることがいっぱいとならないように、日々充実した生活を送らないとなぁと改めて思う今日この頃です。
  


Posted by いのっち at 12:10Comments(2)ベトナム肺炎入院生活

2018/01/19

クレジットカードのグレードで救われる命


ベトナムローカル病院に入院直後の話なのですが、運ばれた時にはかなり重体だった僕はすぐに緊急処置をというような話になりました。

そして、その際には数万円程度のデポジット(前金)ということで、持ち合わせていた現金を渡したのですが、そこから意識が無くなり緊急の対応をとなった時にさらに15万円程度のデポジットをということになり、クレジットカードでということになりました。

その時に、もちろん財布にはそこまでの現金は持ち合わせていないし、クレジットカードは僕がもう決済できない状態。そんな時に病院側が僕のクレジットカード(VISAのノーマルなカード)を見て、

「この程度のクレジットカードしか持ち合わせていない人なら、この先どんどんかかる高額治療費を払えるか不透明だ。」

と言い出し、治療を一時中断しようとしたようです。

一緒にいてくれたベトナム人の友人が

「彼はベトナムで会社も経営しているし、彼の家族にはすぐにベトナムに来るように伝えたので数日中には必ず来るので、その時には必ず現金を持ってくるので、先に治療を始めて欲しい」

と懇願してくれてようやく病院側も何とかしぶしぶ了承して治療を開始してくれたのだそうです。

彼女が病院におらず、しかもノーマルなクレジットカードのみだったら、治療を一時的にストップされて、そのせいで思いっきり後遺症が残るなんて可能性もあったわけで。

足もとを見るじゃないですが、海外の病院(特にベトナム)クレジットカードを見て相手の懐を判断されてしまうという話を聞き、早々にクレジットカードを上のグレードのものに変更しようと決めて手続しております。

例えば、海外出張中に一人でレストランで食事している最中に急に意識を失って倒れたら、病院までは運んでもらえても手持ちの現金が多くなく、クレジットカードもノーマルなカードしか持ってなかったりしたら、病院側はお金をきちんと払えるか確認するまで最低限の治療しかしてくれないって可能性も十分あるわけで。

特に海外出張者などの場合は、現地に頼れる現地語を話せる知人がいなければ、ホテルなどで倒れたりしなければ、身元すらはっきりしない状態になるわけで(パスポート常に肌身離さず持ってれば大丈夫ですが、セキュリティの問題もありますし)。

また、緊急搬送などの場合のクレジットカード付帯の海外旅行保険もグレードが上がると変わってくるので。

海外旅行だけでなく海外在住者海外出張の多い方はちょっと上のグレードのクレジットカード1枚くらい財布に入れておいた方が万一の時にこのクレジットカードのおかげで命拾いをするってことが出てくるかもです。





これまでの経緯はこちら。





























2018/01/13









  


Posted by いのっち at 12:17Comments(4)ベトナム肺炎入院生活

2018/01/18

退院後に聞く、入院中の恐ろしい話

退院後に入院当時の話で時々恐ろしい話を聞くことがあり、ホントやばかったんだなと改めて実感しております。

そんな中で、これまでで一番恐ろしかった話は、肺炎でローカル病院に入院直後に酸素吸入量が一気に下がり、血圧が40を切って意識を失っていた時に、実はお医者さんから

「この状態だと上手く助かっても、半身麻痺などの後遺症が残る可能性が高い。」

と言われていたのだそうです。

つまり、この時点ではほぼ死亡フラグが立ってて、助かっても日常生活への復帰すら無理って状態。

今のところ、5体ちゃんと動きますので、そういう後遺症らしきものはほぼ無いのですが、とんでもないことになっていたのだなと思わず鳥肌が立ちました。

学生時代にラグビーで鍛えていたのが多少は役だったのかは定かではありませんが、日本のお医者さんからも若くて基礎体力があったから助かったのだというようなことは言われたので、今頃になって20年前の練習が役立っているのかもしれないです。


これまでの経緯はこちら。



























2018/01/13







  


Posted by いのっち at 10:34Comments(1)ベトナム肺炎入院生活