2018/10/20
1941年の南部仏印進駐の様子
ネットで色々と調べものをしていたら、偶然1941年の南部仏印進駐(今のベトナム南部)の様子の写真を発見したので、ちょっと紹介。
建物の雰囲気からして撮影された場所は今の1区のあたりでしょうか。1941年の7月末か8月頃の写真かと思われます。
歴史の教科書で習った話では、1941年に行われた南部仏印進駐により、アメリカとの関係性が修復不能な状態になり、アメリカからの石油禁輸、その後のハルノートで開戦という流れになっていったというものですが、実際に進駐した兵士の人達はどんな日々を送っていたのか、
将校たちは日本ホテル(今のマジェスティックホテル)に寝泊まりしたようですが、一般の兵士はどこにいたのか、どんな訓練を行って、どんな食事をして、どんな風にベトナムの人たちと交流していたかなど今のホーチミンに住んでても分からないことだらけなんですよね。
ただ、一つだけ分かっていることはこのサイゴンを中継地点にして、太平洋諸島やミャンマーなどの激戦地に送られ、そのまま還らぬことの無かった兵士が何万人もいたということ。
たった80年前の話なんですが、本当に分からないことだらけだよなぁと実感します。
建物の雰囲気からして撮影された場所は今の1区のあたりでしょうか。1941年の7月末か8月頃の写真かと思われます。
歴史の教科書で習った話では、1941年に行われた南部仏印進駐により、アメリカとの関係性が修復不能な状態になり、アメリカからの石油禁輸、その後のハルノートで開戦という流れになっていったというものですが、実際に進駐した兵士の人達はどんな日々を送っていたのか、
将校たちは日本ホテル(今のマジェスティックホテル)に寝泊まりしたようですが、一般の兵士はどこにいたのか、どんな訓練を行って、どんな食事をして、どんな風にベトナムの人たちと交流していたかなど今のホーチミンに住んでても分からないことだらけなんですよね。
ただ、一つだけ分かっていることはこのサイゴンを中継地点にして、太平洋諸島やミャンマーなどの激戦地に送られ、そのまま還らぬことの無かった兵士が何万人もいたということ。
たった80年前の話なんですが、本当に分からないことだらけだよなぁと実感します。
Posted by いのっち at 17:57│Comments(0)